マツド・サイエンス研究所

システム・エンジニアリング

囲碁や将棋のルールって、意外と単純だ。

将棋の場合、駒の種類や動き方も、そんなに多くない。囲碁に至っては、白と黒の石しかないし、動くこともできない。ただ、相手の石を囲んだら取ることができる、それだけのルールだ。

ルールが簡単だからと言って、囲碁や将棋がゲームとして単純だと思ったら大間違い。奥の深いゲームで、もう千年を超える歴史を持つであろうに、いまだに新しい定石や戦術が生み出され続けて居る。

単純なルールなのに、その組合せは天文学的な数になり、実質上無限にあると言っても過言ではない。だから、囲碁や将棋の名人達は常に新しい戦術を、その中に見つけることができる。最新のコンピュータをもっても、囲碁や将棋の全てを解析することどころか、人間に勝つことすら、まだ何十年も不可能だろう。

ブロック型の玩具も、そうだ。囲碁や将棋ほどの歴史は無いが、単純な形状のブロックの組合せは、やはり無限だ。

「単純なモノの組合せでも、その可能性は実質上無限にある」

まずは、これを理解して欲しい。

「当り前じゃないか!?」と思った人も多いだろう。しかし、この当り前のことが、「技術」に対して理解して居ない人が、日本人には余りにも多い。

技術的なモノ、例えば「自動車」の場合、「駒」に当たるのは「エンジン」「タイヤ」「サスペンション」などの部品、「自動車」自体が「ゲームとしての囲碁や将棋」だ。

新しい「自動車」のモデルが発表された時、常に話題になるのが、「最高馬力のエンジン」とか「新方式のサスペンション」を「採用したかして無いか」ではないだろうか?

それどころか、「当り前のエンジン」と「当り前のサスペンション」の組合せでは「新しい自動車と呼べない」とすら、思っては居ないだろうか?

「当り前のエンジン」と「当り前のサスペンション」の組合せだって、数限り無くある。その中に「画期的に新しい自動車」もあるはずだ。

それなのに、何故「エンジン」や「サスペンション」と言った「部分」にのみ注目するのか?

「囲碁や将棋」に例えるなら、「エンジン」や「サスペンション」を変えることは、「石や駒のルールや動き」を変えることと同じだ。「絶対に取られない石」とか「盤の何処にでも飛べる駒」を作っても、「ゲームとしての囲碁や将棋」が良くなるとは思えない。むしろ、ぶち壊しになる可能性の方が大きいだろう。

「エンジン」や「サスペンション」のように、「石や駒」に当たる部分を「要素技術」と言うのだが、明らかに日本は「要素技術偏重」だ。

「ゲームとしての囲碁や将棋」に当たる部分を「システム」と言い、これを如何に良く開発するかを扱うのが「システム・エンジニアリング」である。

日本で「システム・エンジニア」と言うと、「コンピュータやソフトウエアのメンテ屋さん」と言うイメージがあるが、そうではない。

「当り前の要素技術の組合せ」で「画期的なシステムを作る」と言う考え方は、「システム・エンジニア」の中の「システム・アーキテクチャー設計」と言う分野に当たる。

「画期的なシステム」が「当り前の要素技術の組合せ」で作れるなら、それで良い。無理に「新しい要素技術を開発」する必要など全く無い。「当り前の要素技術の組合せ」を熟考した末、どうしても足りない部分だけを取り出し、そこを「新しい要素技術の開発」すれば良い。

この話をすると、多くの人は「そんな古い技術の組合せばかり考えて居ても、当り前の事しかできないだろう。つまらない。面白くない。行き詰まりだ。」と言う印象を口にする。

私は全く逆で、「恒星間宇宙船の開発と言った飛躍的な進歩には、システム・アーキテクチャー設計以外の解決方法は無い」とすら思って居る。

さて、このギャップは、どうしたものだろう。

この説明をすると、もっともっと文章が長くなりそうだ。いずれ、この場で説明すると思うが、時間もかかるので、順を追って、徐々に書き込んでいきたいと思う。

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