マツド・サイエンス研究所

熱血クラシック音楽コメディ

「のだめ」が面白い。原作の漫画もドラマもだ。

別に、主人公の名字が私と同じだから言う訳でも無いが。

この漫画・ドラマ、全体的に面白いのだが、特に面白いと思うことが2つある。

一つは、「熱血もの」だということだ。

漫画の「のだめ」もドラマも熱血ものだ。一見ドタバタコメディのように見せかけて、実はスポ根ならぬ音楽根性ものが「のだめ」の正体だ。

正直、こんなに真剣に音楽に取り組んでいるキャンパスライフがあるとは知らなかった。

私は、音楽、特にクラシック音楽に関しては全く知識が無い。音楽学校/大学に足を踏み入れた事すら無く、恥ずかしい限りである。

音楽に対する知識が無く、「のだめ」が、どれほど真実に忠実であるかどうか語ることはできないが、ドラマや漫画で見る限り、素晴らしいというか、羨ましい学生生活が伝わってくる。

音楽に関してウンチクを述べる事はできないので、キャンパスライフの方に話題を振る。

音楽大学には敷地内に足を踏み入れた事の無い私だが、理学系/工学系大学なら数限り無く入ったことがある。学生時代に私自身が通った大学もそうだが、今現在も大学に行くことが多い。

その工学系の大学にもキャンパスライフはある。

もちろん、学生の中には遊びほうけている者も居るし、むしろその方が多数派だ。

だが、確実に、千秋真一のように、その分野に対して真剣に取り組む姿がある。

例えば、ロボットを作ったり、缶サットやキューブサットを作ったり、人力飛行機やロケットを作ったりと様々である。モノ作りに限らず、理論の構築や実験、式の展開、論文書きに真剣に取り組んで居る。

どうも、一般的には、理学部/工学部は、堅苦しくて暗いと言うイメージがある。しかし、本当はモノ作りや理論の構築だって、ロマンや情熱や感動にあふれて居るのだ。

誰か、そう言った理学部/工学部の本当の姿を、「のだめ」のように分かりやすく、面白く伝えてくれないかなあ・・

まあ、まるで無い訳じゃ無くて、映画「ロボコン」とかTVドラマ「ロケット・ボーイズ」とかあったか・・・・ 受けなかったが。

「のだめ」で、面白いと思う、もう一つは「指揮者」を題材にしていることだ。

今までの漫画やドラマなら、確実に「演奏者」の方を主人公にしたと思う。スポ根もので、野球ならピッチャーやバッター、ボクシングならボクサーを主人公にするようにだ。今までなら、間違っても丹下段平を主人公にはしないだろう。

ところが「のだめ」では、実質上の主人公である千秋真一は「指揮者」を目指して居る。

繰り返しになるが、私には音楽の知識が無い。だが、その私でもクラシック音楽における「指揮者」の存在は、以前から興味があった。

大人数のオーケストラは、音を出すことが目的の「音楽」のために編成されて居る。そのオーケストラの一員なのに、全く「音」を出さないメンバーが居ること自体、特異だと思う。だが、それ以上に「音」を出さない指揮者がオーケストラの中で中で一番偉そうにしているのだから、おかしいじゃないか。少なくとも音楽の素人としては、そう思ってしまう。

もちろん、ちゃんと音楽が分かって居る人にとっては、指揮者の存在の理由も重要性も当然のことだろう。

これ以上の突っ込みは、音楽の知識が無い私には無理なので、またしても話題を別の方向に振る。

私の仕事のひとつは、新しいアイデアの実現を「設計」する事だ。

設計の極く初期の段階で、色々な専門家が集まって討論をし、アイデアを出し合って、大まかなコンセプトを作り上げて行くことがある。

この時、討論の進行役をコンダクターつまり指揮者と呼ぶことがある。

コンダクターと言う呼び方は、あまり一般的でなくデレクターとかアーキティクトとか色々な言い方が混在して居る。が、私は昔からコンダクターと言う呼び方が気に入って居て、よく使って居る。

色々な専門家が集まる討論会をセッションと呼ぶ。もちろん、セッションには討論会の意味もあるが、演奏会の意味もある。セッションと言うと JAZZ や JAM セッションを思い浮かべるが、クラシックセッションと言う使い方もあるそうだ。

そう言えば、電子機器や光学機器などをインスツルメンツと言う時もある。この辺の名前を付けた人は、よほど音楽に引っかけたかったんだなあ。

セッションは、オーケストラほど大編成でなく、せいぜいが 10 人までの専門家が集まって行う。

コンダクターの役割は、クラシックオーケストラの指揮者と同じで、演奏しないことだ。

設計のための討論会なのに、コンダクターは設計自体や解析・計算などはしない。私が主催する、つまりコンダクターを務めるセッションに参加したことがある人なら判ると思うが(このブログを読んで居る人の中にもきっと居るはずだ)、私は専門家同士のインターフェースを取って居るだけだ。違う分野の専門家同士だと、専門用語が通じない時があるので、やさしい言葉に通訳する。

冗談を連発して滑らかにコミュニケーションが進むようにし、課題となる問題点を明確にし、その解決を方法を色んな視点から検討できるようにしている。方向性のイメージが伝わるように、たまに簡単な解析などをやってみたりもするが、本質は専門家に任せる。

専門家は、概ねソリスト(独奏家)が多い。

大編成のオーケストラに慣れて居ない場合が多いし、多分野の専門家と同時に討論すること自体に有効性を認めない事すらある。

だが、ソロ演奏では味わえないオーケストラ演奏ならではの醍醐味がある。

ある分野で完全に行き詰まって居た問題が、他の専門家の一寸したアドバイスで解決する事がある。それが連鎖的に広がると、それまで全く存在も予想できなかった新規コンセプトやシステムが誕生する瞬間がある。

「降臨」して来たとすら思える感動の瞬間だ。

偉そうな事を言ってはみたが、セッションを開ける機会は少ないし、本当に感動できる瞬間など滅多にあるものではない。せいぜいが、1年に1度あるかないかの極めて稀な出来事だ。

「のだめ」の作品中で、「身震いするほど感動する演奏ができることは本当に稀」と誰かが言ったが、まさにその通りだ。

だが、本当にあるんだよ。

設計のセッションでも「身震いするほど感動」が訪れることが。

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