マツド・サイエンス研究所

IPS (恒星間測位システム)

野尻抱介氏のSF小説「沈黙のフライバイ」に出てくる IPS (恒星間測位システム)について、説明する。

この作品、1998年に書かれたものだが、IPSについての当時の検討を何処にも発表も公開もしていないので、あらためてここに記する。

IPS の目的は、「鮭の卵」のような小さな恒星間探査機のナビゲーションのための位置決定である。

そのため、まず電波の往復時間を測って距離を求めることはできない。小説「沈黙のフライバイ」の設定のように10光年離れた場合、往復で20年もかかってはナビゲーションに使えないからだ。従って、GPS のように一方通行の電波のみを使って、位置を求める必要がある。

また、受信側は「鮭の卵」のようにリソースが限られる。従って、可能な限り受信側をシンプルに作れるような仕組みが必要だ。「鮭の卵」は恒星間探査船だが、エネルギー源は太陽電池のみで、目的地の恒星に近付いて始めて電源が入る。その間は電源が切れた状態なので、時計を動作させ続けることはできない。つまり、正確な時刻を知らない状態から、始めなければならない。

図1

IPS は、図1のように、2つの惑星に、それぞれ2つ、合計4つの衛星から構成される。(図1は、小説「沈黙のフライバイ」の設定に合わせて、恒星レッド・ドワーフと惑星トーリンとドワーリンにしている。私の元々の設定は、太陽・地球・海王星だ)

図2に、惑星の公転軌道面への投影図を示す。図2には、レッド・ドワーフと惑星公転面に垂直な軌道を持つ2つの衛星は省略している。

図2左上のトーリンを回る衛星から「鮭の卵」に行く電波に注目して欲しい。「鮭の卵」で受ける電波の周波数は IPS の位置によって、ドップラーシフトが起きていることが判るだろう。衛星が近付いてくる時は周波数が高く、離れている時は周波数が低い。

ドップラーシフトの時間変動率に注目すると、周波数が中間の時(図2の赤い矢印で示した場所)が、最も激しい。

図2

この最も激しくドップラーシフトが変化する時の IPS の位置が判れば、トーリンから、その方向の先に「鮭の卵」が居る。正確に言うなら、ドップラーシフトが変化する時の速度ベクトルに対して垂直な面内に「鮭の卵」が居ることになる。(小説の中では、ドップラーシフトが最大になる時の接線方向と書いてあるが、実際はドップラーシフトの変化率の方が正確に測定できるので、こちらを用いる)

実は、この方法は、「のぞみ」や「はやぶさ」などの惑星間探査機の位置決定の時に用いる方法の応用だ。惑星間探査機の場合、臼田のアンテナから出る電波が探査機を往復したドップラーシフトを用いる。臼田のアンテナは衛星軌道を周回してはいないから、地球の自転を利用している。現在の技術として、この方法で、百万分の1ラジアンと言う高い精度で、角度を測定できる。

「鮭の卵」は、トーリンとドワーリンからの角度が判るので、三角測量の応用で、距離が判る。また、惑星公転面と垂直な2つの IPS の角度情報と合わせて三次元的な位置を決定することができる。

実は、IPS は3つの衛星があれば、三次元的な位置の決定が可能である。だが、これは受信側すなわち「鮭の卵」が極めて安定性の高い時計を持って居た場合の話である。実際には、安定性の高い時計を持つことはできない。そこで、一つ多い4つ衛星の信号を用いることで、正確な時計が無くても、位置を計算することができる。

実際に、どの位の精度で衛星の位置を決定できるか、計算してみた。

レッド・ドワーフから太陽系までの距離を10光年(100兆キロメートル)、トーリンとドワーリンの距離が、海王星までの距離と同じ 30 AU つまり45億キロメートルとする。

角度精度が、百万分の1ラジアンとすると、距離方向の誤差が 2.2光年(22兆キロメートル)、横方向の誤差が1億キロメートル(0.67 AU)だ。

どうだろう?

良い精度だと思うだろうか?悪いと思うだろうか?

実は私は「意外と良いなあ」と思った。

とは言え、百万分の1ラジアンと言う角度精度は、現在の技術で可能なレベルであり、IPS が未来の技術と考えれば、2〜4桁位精度が向上しても、おかしくは無い。

例えば、角度精度が2桁向上すれば、距離方向の誤差が 0.022光年(2200億キロメートル)、横方向の誤差が100万キロメートルになる。

角度精度が、さらにもう2桁向上すれば、距離方向の誤差が 0.00022光年(22億キロメートル、15AU)、横方向の誤差が1万キロメートルになる。

もちろん、何処まで行っても誤差は残るので、目的地の恒星自体を使った天測による補正は必要だろう。

と、ここまでは、約十年前に考えた事である。

今考えてみると、ドップラーシフトだけではなく、IPS の位置情報も使う方が良いかもしれないとか、全然違うところにもう幾つか IPS 衛星を配置し、搬送波レベルまで同期させて、「逆VLBI」させた方が角度精度があがるだろうなとか、IPS のバリエーションも星の数ほどありそうな気がしてきた。少なくとも IPS 間の距離があるほど精度が良くなるから、もっと距離を離す工夫は必要だろう。

余談

「鮭の卵」は、後日談がある。

その後の検討の結果、光速の15%と言う超高速に加速するのに、レーザー光が使用できる可能性があることが判った。

笹本祐一氏のSF小説「星のパイロット4」『ブルー・プラネット』のラストシーンで、マリオとスウの二人がラグランジュ2で見送っているのが、レーザー光で加速するバージョンの「鮭の卵」である。

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