マツド・サイエンス研究所

最近の若い者は・・・

昨日、都内某所で、ちょっと講演をした。昔、世話になったことのある大先生に頼まれて断れきれなかったのだ。最近は、宇宙旅行とか火星や小惑星の命名権やらの土地の権利とかをネタにして、怪しげな事もあるらしいので警戒した。しかし、そう言ったものでは無く、心配は全くの杞憂であった。結果的には、色々な人に会えたし、面白かったので、講演して良かった。

このブログで事前に告知しなかったのは、会場になる会議室が満員になるくらい既に予約が入っていると言うことだったからだ。

で、会場に行くと、50人弱位の人が集まったのだが、普段の『客層』と全く違うので驚いた。普段は、専門の技術者や科学者が集まる学会やら、マニアの集まる SF 大会やロフトプラスワン、宇宙作家クラブのミーティングで喋っているのだが、この場合、聞いている人は、宇宙に関して、それなりに知識がある。

ところが、昨日は、全く宇宙とは関係の無い職業でマニアでも無い人達が、「宇宙に行きたい」と言うキーワードだけで集まって居た。若い人から年を取られた方、男性も女性も居た。もちろん、男性の方が比率的には多いが、普段では、まず居ない ごく普通のOL風の若い女性とか、普通の主婦とかが居たのには驚いた。男性でも、広告代理店とかIT関係の職業など、宇宙とは縁もゆかりも無く、また、マニアでも無い方が多く居た。

用意したプレゼンテーション資料は、ターゲットを見誤って、少し専門的な部分が多過ぎ、難しい部分は出さずに話したのだが、それでも終了後に色々な人に聞いたところ、専門用語などが難しかったようだ。ただ、皆さんが「面白かった」と言って下さったのが、せめてもの救いである。

講演終了後、懇親会に出たのだが、そこでも色々と話、面白かった。

ごく、普通の人にも「宇宙に行きたい」が、ストレートに判ってもらえるんだなあ。

ちょっと、カルチャーショックだった。反省しなければならない。

ところで、その懇親会で若い人と色々喋った。若いときから、海外で宇宙関係やシステムエンジニアリングの学校に留学したりして、自分が進みたい道のために努力している人が居る。宇宙関係でなくても、他の色々な分野で努力し、自分の仕事を着実に進めていて、なおかつ、大きな夢を追おうとしている人も居る。皆、若いのに、努力し、自分の道を、自分の力で進もうとしている。

だが、残念な事に、彼らを受け入れる場所が、この国には十分には無い。それが歯がゆい。

その時、感じたのが、最初のタイトルである。

普通なら「最近の若い者は」の後は「何を考えているのか判らない」と続くところだ。

しかし、私は、そうは思わない。

「最近の若い者は、なかなかのものだ。早く日本を彼らに任せたい」と思うのだ。

最近、今回の講演だけでなく、20代から30代前半の人と話す機会が多い。

マスコミでは、フリーターとかニートとかが問題になっている世代だ。

だが、私が話をする若者達は、皆、そんなに悪くない。

むしろ、我々や更にその上の世代よりもしっかりと生きているように見える。

そう言った「しっかりした」若者は、少数派だと思っていたのだが、だんだん、そう思えなくなってきた。

あまりに、しっかりした若者が多いからだ。

なぜ、若者をフリーターとかニートとかだけでとらえようとするのだろうか?

なぜ、逆に、しっかりとした若者を、マスコミは報道しないのだろうか?

どうも、年長者は、「若者=未熟者」とのレッテルを貼りたがっているようにしか思えない。

その根源にあるのは、年長者が、若者の追い求めている「夢」を理解できないからのように思える。

若者が求めている夢は、お金を稼ぐ事でも食べる事でも無い。もっと、壮大な夢だ。もっと、芸術的な夢だ。

しかし、そんな夢を「何を現実離れした事を言っているんだ。まじめに働け。働かないと食べられないぞ」と年長者は言うだろう。それは日本が貧しく、飢えて居た時代に、育った年長者の価値感だ。

今の若者は、飢えた事も無いし、お金に困った事も無い。

だから、彼らの仕事に対するモチベーションは、お金でも食べ物でもない。

だが、彼らも考えることは考える。彼らの仕事に対するモチベーションは、もっと大きく人類に対する貢献とか芸術とか、そう言ったものに変わって来ているのだろう。

「飢えた事も無いし、お金に困った事も無い」若者を「甘ちゃん」扱いしたいのは判る。

だが、彼らは逆に、「大人」なのだ。

日本と言う国が、少なくとも経済的・物質的に一人前になってから育った彼らは、次の精神的な価値を追える「大人の国」の住人だ。

年長者の方がむしろ、「日本が子供の時代」に育った「子供の国」の住人に思えてくる。

私は、わずか一年英国に住んだ事があるだけだが、英国人の価値観は、日本の年長者よりも、むしろ最近の若者に近い。少なくとも私には、そう思える。そして、英国はアメリカよりも何処よりも大人の国なのは万人が認めるところであろう。

今、現在、その移り変わりの時代なのだと思う。

日本という国が、経済的・物質的・精神的にも、子供から大人へ変わろうとしている時代では無いか。

上手く、大人へ脱皮することができたら・・と願う。

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