マツド・サイエンス研究所

サイエンス、エンジニアリング、モノ作り

ここ何週か、M大学の経営学部の一年生を相手に講義をして居る。大学生に講義をすること自体は珍しくないのだが、普段は理工学部が多く、経営学部のように文系の学生に教えることは滅多にない。

文系の学生は、理工学部と違い、女性の比率が高く、また男女ともファッショナブルで華やかである。

こう言った外見上の差異よりも、ずっと大きな違いは内面的なものだ。理工学部の学生の場合、私が教える事、つまりサイエンスやエンジニアリング、モノ作りに対して、既に価値を見出して居る。

それに対し、文系の学生は、そう言った事に価値を認めて居ない訳で、そう言った学生相手に、話が通じるかが、最大の課題になる。少なくとも、最初の講義の前は、そう考えて居た。

だが、実際に講義を始めると、私の話に、それなりに付いてくる。ちゃんと、サイエンスやエンジニアリング、モノ作りの面白さを伝えようとするところに興味を持ってくれるのだ。

M大学・経営学部の講義は、今年が初めてではなく、数年続いて居る。

数年の間に、私の最初の考え方は、抜本的に間違って居るのでは無いか・・と疑問に思い始めた。その疑問は、今では確信に変わっている。

文系の学生の彼ら/彼女らは、サイエンスやエンジニアリング、モノ作りに対して、価値を認めないのではなく、そもそも、そう言ったものが面白く興味深いと言うことすら知らないのだ。

私の憶測なのかもしれないが、どうも、サイエンスやエンジニアリング、モノ作りとは、決まり切った法則とか真理とか方法論を覚え、実行するだけのつまらない事だと誤解しているようだ。

私が実例を含め、そう言った分野で、新たな理論や方法論を自分で考え、創り出す事が、いかに楽しく、興味深いことであるかを示すと、教室の全員ではなくても大半が興味を持ってくれる。

なぜ、そんな誤解が生まれるのか?

まあ、高校までの授業で、押し込め教育で、理科や数学が嫌いになった学生は、当然なのか!?

いわゆる、理科離れとか、モノ作りの崩壊と言う奴か?

もっと、早い時期に、サイエンスとかモノ作りの楽しさを伝えていないのが、いけないのか?

だが、理科教育に熱心な親御さんの中にも、本当の意味で、サイエンスを理解していない人が多いような気がしてならない。

理科に興味を持たせるために、面白そうな科学実験を見せる。だが、ショーと化したサイエンス実験は、本当のサイエンスじゃないんだ。いくら不思議に思えて楽しそうな実験でも、最初から結果が判っている実験は、本当の意味での実験じゃない。

実験は、それをする人の仮説が、正しいかどうかを検証するための方法で、実験するまで、誰も上手く行くかどうか判らない、それでこそ、科学的な実験なんだ。失敗を重ねて、初めて成功する喜び。そして、仮説が新しい理論へと生まれ変わる一瞬。

サイエンスだけでなく、エンジニアやモノ作りでも、自分で考え工夫した方法や仕組みが上手く動いた時の嬉しさ。

そこに面白さもあるし、創造性もある。

そして、サイエンスやエンジニアリング、モノ作りは、特別な教育や訓練を受けた一部の限られた人だけの特権ではなく、誰でも、やれることだ。

本当に、サイエンスやエンジニアリング、モノ作りって、創造的で、面白くって、興味深いことなんだよ。

もっと、声を大にしてアピールしなきゃ、いけないのだろうね。

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