マツド・サイエンス研究所

サイエンス

先週、東工大から東大と大学を梯子した。最近、週に一度程度の割合で大学に行くことが多い。

東工大も東大も、イチョウが色付き始めた。まだ少し早く緑色が残って居る。燃えるような黄色になるのも、あと少しだろう。(この話、先週の事なので、既に東工大も東大もイチョウが見頃になっているかもしれない)

仕事柄、サイエンティスト=科学者と話す機会が多い。私自身は、ブログの題名に「マツド・サイエンティスト」などと使っているが、正確には科学者ではなく、技術者=エンジニアである。

今年は、日本人が4人もノーベル賞を取った(1人は米国籍なので、日本籍は3人)。

めでたい話で、「日本の科学研究レベルも、ここまで上がったか」かと言えば、「4人共御高齢で、受賞の対象となった研究は30年も40年も前のもの。当時の日本の研究レベルが高かっただけの話で、今はそうでは無い」と言う批判もある。

何か、どっちの意見もピントを外しているように思えるのだが、どうなんだろう?

商売柄、私が良く会う科学者は、宇宙物理とか天文学とかの人が多いのだが、そう言った人達も、少ない予算の中で、一生懸命新しい発見とか観測とか、そう言ったものを研究したり、開発したりしている。私は、そう言った発見やら観測やらを主に人工衛星を使う方法についての手助けをしている訳だ。

「少ない予算」と言ったが、30年〜40年前の日本の経済状態と比べたら、今の方が余程恵まれているんじゃないかなあ・・・ もちろん、科学に対する予算は多いに越したことは無いのだけれど。

むしろ、問題は、世間の科学に対する不理解だと思う。若者の理科離れも、この不理解が原因だと私は思っている。

科学擁護派の人から、よく「若者の理科離れは大問題だ。科学技術立国の日本の将来に由々しき事だ」と言う意見が出るが、この意見こそが「科学に対する不理解」の典型だと思う。科学と技術を混同している。技術は役に立たないと何の意味も価値も無いが、科学の価値と「役に立つか、立たないか」は全くの無関係だ。だから、「日本の将来」に役に立つか立たないかで、理科離れ・科学離れを嘆くこと自体がナンセンスだ。明治のころの富国強兵と同じになっている。

そもそも、科学に対して、役に立つ立たないを語ること自体が失礼だろう。科学の価値は、唯一、知的好奇心が満たされるか否かだ。

それでも「科学と技術は密接な関係があるだろう」と言う意見がありそうだ。もちろん、「科学と技術」は密接な関係がある事自体は否定はしない。だが、それを言ったら、科学は技術以外の、文化とか経済とか、色んな分野とだって密接な関係がある。あまり知られていないかもしれないが、バッハを代表とする「バロック音楽」の「バロック」って、惑星の公転軌道を表す「楕円」って言う意味なんだ。実際、バッハは、ガリレオ・ケプラー・ニュートンのすぐ後の世代の人だ。

これ以外にも、科学に対する不理解とか誤解の例は山ほどある。が、これ以上書いたら、くどくなるのでやめておく(既に、十分くどい?)。

とにかく、私が思っている通りに、若者が理科離れする原因が世間、特に大人の不理解や誤解にあるのなら、残念で仕方が無い。

私が話をする科学者の人達は、皆、純粋に知的な好奇心を追い求めている。彼らが、わくわくするような発見をして、それに私の手伝いが少しでも役に立てたらと、望まずにいられない。そして、彼らの中の一人でも二人でも、何十年後にノーベル賞を取れたらなあ・・・と思ってしまう、俗世間的な私である。

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