マツド・サイエンス研究所

「最長片道切符の旅」読了

「最長片道切符の旅」(宮脇俊三著)を読んだ。筆者自らの北海道から鹿児島に至る国鉄の旅を書いたものである。鉄道ファンならば、知らないものは居ない有名な書籍らしいのだが、私は知らずに図書館で見つけて借りて読んだ。

文字どおり国鉄を使った片道切符での最長片道の旅で、一筆書きで描ける最も距離の長いルートを旅する。具体的には、北海道の広尾から鹿児島の枕崎までルートだ。話自体は実話だが、約30年前の事なので、既に廃線になったり、第三セクターになった路線も多いので、現在では最長片道にはなら無いだろう。

この本を読んでいると、妻が「あなたって鉄道マニアなの?」と聞く。軽い鉄道好きであることは認めるが、この本の作者に比べると足元にも及ばない。片道切符での旅では、連日10時間を超る時間列車に乗っていたようだが、私なんて5時間を超た時点で飽きてくる。先日、小湊鉄道といすみ鉄道を乗り継いだ時も、そこに至る旅程も含めて、5〜6時間列車に乗ったら飽きてしまって疲れてしまった。

「最長片道切符の旅」の話に戻ると、読んでいると内容によって、感想が幾つかのパターンに別れることが判った。まず、私が行ったことも無く知らない場所。この場合、「ふ〜ん、そんな所もあるんだ」と思う程度だ。もちろん、行ってみたいと思うこともあるが、それほど強い感想ではない。

残りは、私自身が行ったことがあるか、近くまで行った場所だ。「日本全国を回る話なんだから、そうそう行った場所ばかりではないだろう」と言われそうだし、読み始める前までは私自身が同様に思っていた。

ところが、読んでいるうちに、大半は行っているか、近くまで行った場所だと気が付いた。

実は、私は20代までに日本全国47都道府県を旅した。多くは学生時代に車で旅した。日本の中で車を運転していない県は2つか3つしか無いと思う。

一方、鉄道で行った旅は免許を取るまでの時代と、長時間運転するのが辛くなった最近が多い。

そのため、「最長片道切符の旅」に出てくる場所の多くが、実際に、その路線に乗ったことがあるか、車などで近くを通ったかの場合いずれかである。もちろん、わざわざ、最長片道のためにグネグネと回り道をして乗った訳ではないが、直線的にかすめた場所は多い。

「実際に自分で行った場所なら、感想も強いだろう」と思われるかも知れない。ところが、全く同じ路線を乗ったはずなのに、何も思い出せない場合が多い。逆に、よく覚えている場所もある。よく覚えている場所は本を読みながら、当時の事を思いだし、感慨も深い。

なぜ、覚えている場所と覚えていない場所があるのだろう? 余りにも幼い時に乗ったとか、夜行で寝台車で寝ていた・・などはしかたが無い。が、最近乗ったはずなのに覚えていないのは何故だろう。

覚えていない理由は、インターネットとナビゲーションだ。

昔は、何処へ行くにも自分で調べて経路を決めなければならなかった。車なら道路地図、鉄道ならば時刻表を見ながら経路を決めた。こうやって苦労してルートを決めて行った場所は良く覚えている。

ところが、最近はコンピュータの進歩で自分で考える必要が無い。車ならカーナビまかせだし、鉄道ならば事前にインターネットの駅探などで調べた経路通りに乗るだけだ。

コンピュータまかせだから、印象に残らない。だから覚えていない。もちろん、旅先での記憶はある。だが、記憶は目的地の「点」の部分だけが突如として現れ、過程となる旅程の「線」の部分が欠けている。

もちろん、旅行は目的地が重要で、そこに至るプロセスなど、どうでも良いのかも知れない。

でも、途中の記憶の抜けているって旅行は、なんか価値が半減している気がするんだよねえ。

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