マツド・サイエンス研究所

『地球移動作戦』読了

SF書評家の林哲也氏に「なにか面白いSFはない?」と聞いたらすすめてくれたので、『地球移動作戦』を読んだ。面白かった。傑作である。

その感想を2つの視点から・・・

一つ目の視点:普通の感想

ネタバレになるといけないから、具体的な内容に触れない範囲で感想を言う。

言っていいのは、『地球移動作戦』は、『妖星ゴラス』と言うSF映画を現代封に書き直した作品だって事くらいだろう。

50年も前の映画の焼き直しと聞いて、レトロフューチャーのオンパレードだと思ったら違った。出てくる科学考証やSFガジェットは全て最新の科学・技術で構成しなおされている。もちろん、現実の科学・技術だけにとどまらず、相当ぶっ飛んだ未来を想定したものも入っているから、『地球移動作戦』のガジェットの現実性・実現可能性は、限りなくゼロに近い。でも、元々『妖星ゴラス』自体が荒唐無稽な話であり、それを現代風にアレンジしている事は、大いに評価できるできる。

むしろ、『地球移動作戦』を読んで、懐かしさに近いものを感じたのは、科学と技術と未来に対する肯定性に満ちた明るい雰囲気だ。30年より前のSF(小説だけではなく、映画・マンガ・アニメも)には、揚々とした明るさで未来に対する期待に満ちあふれていた。ところが、いつの頃からか、未来は暗く荒廃したイメージに変わった。科学や技術は、未来を荒廃させた「悪役」に成り下がってしまった。

『地球移動作戦』は『妖星ゴラス』を下敷きにしているため、当時の未来に対する肯定性を受け継いでいるだけなのかもしれない。しかし、絶望的な状況に対し、科学と技術をもって明るい未来を切り開こうとする姿は、懐かしさを越えて、新鮮ささえ覚えるほどの感動を得た。

少なくとも私が今年読んだSFの中では『ハーモニー』(去年の作品だが、今年に入って読んだ)と並んでベストと言える。

二つ目の視点:個人的な驚き

『地球移動作戦』を読み始めてしばらくしたころ、奇妙な感覚に襲われた。

『地球移動作戦』の科学的プロットはよくできているし、次々に起こる問題に対する登場人物の対応も道理にかなっている。

私が覚えた奇妙な感覚は、登場人物が最終的に選んだ対応方法自体ではない。登場人物達がその方法を選ぶと言う結論を得るに至るプロセスに対してだ。

一般的に、「一つ一つ論理を重ねていくと、論理的な結論を得ることができる」と思われているようだ。だが、それは誤解だ。論理を重ねて結論が得られる問題など、むしろ少数だ。

まず、「ひらめき」で概ね正しいと思うよう結論を仮に立てる。その仮の結論の正しさを証明するために論理を立てと言う逆の行為を行う。「ひらめき」と言えば聞こえが良いが、実際は、経験に基づいた勘とか思いつきとか飛躍とか省略とか近似を行いながら、仮の結論を立てる。うまく行けば、すぐに本当に正しい結論を得られる。うまく行かなければ、別の仮の結論を探す。そうなれば、遠回りだ。

(将棋とか囲碁の手を考えるプロセスを思い浮かべれば理解してくれるかも知れない。もしくは積分。積分を解くのは勘とか飛躍が必要だが、微分を使えば検証は簡単にできるからね。もちろん、微分に勘も飛躍も必要は無い)

本来、結論さえ正しければ、途中段階のプロセスはどうでも良い。複数の人が、最終的に得た結論が同じものであることは珍しくは無い。だが、その結論に達するプロセスは千差万別だ。十人十色とも言える。人によって、飛躍とか省略の仕方に癖があって、プロセスには個性が出ると言っても良いだろう。

『地球移動作戦』の中で出てくる問題解決のプロセス(ネタバレになるから、具体的に述べるのは止めよう。ほんの数箇所、量にしても数行に過ぎない部分だが、気になることは気になる。)を見て驚いた。

この飛躍したプロセスと全く同じことをやる人間を知っている。それは他ならぬ私自身だ。

最初は単なる偶然と思った。だが、どう考えてもおかしい。この飛躍の仕方は、私の癖に似すぎている。

もしやと思い、後書きを見た。

後書きの最後に「設定に関する貴重な助言をいただいた野尻ボードの皆様に感謝いたします。」とあるではないか。

帰宅そうそう(私の読書の場所は、主に通勤電車の中だ)、インターネットで「野尻ボード」「山本弘(『地球移動作戦』の作者)」のキーワードで検索をかけた。検索結果を見て、一瞬で氷解した。

一年半前の野尻ボード上で、私自身が山本氏の質問に対して答えているではないか。

恥ずかしながら、情けないことに、この時点まで完全に忘れていた。

野尻ボードを読み返して、やっと思い出した。そうか「野尻ボードの皆様」には私も含まれるのか!

そう言や、今、Ruby-GNOME2 で作ろうとしている小惑星シミュレーターも、野尻ボードで山本氏に適当な軌道シミュレーターが無いかと聞かれたのが、切っ掛けの一つになったいたのだ。

しかし、情けないなあ、いくら忙しい時期だったとは言え、自分で書いたコメントを忘れていたとは。

まあ、『地球移動作戦』のような良い作品のお手伝いができたので、よしとしよう。

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