マツド・サイエンス研究所

部誌

写真は、私が大学時代に所属していたクラブの部誌「Rocket Week」だ。

創刊号の日付が1979年5月だから、もう30年以上も前の話だ。

私の大学には、宇宙関係の学部が無く、宇宙に興味を持った学生が集まってクラブを作り、互いに知識を教えあったり、情報を交換したりしていた。それが、これらの部誌である。

青焼きと言われる当時の図面を複製する方法で印刷されている。

原本は半透明のトレーシングペーパーにサインペンで手書きしていた。間違いがあると修正できないので、書くのは大変だった。最初は一年上の先輩が書いていたが、そのうち、皆が手分けして書いていた。写真の部誌の表紙の絵の幾つかは、私が描いたものだ。

二つ目の写真の左側は、モデルロケットの紹介だったりする。今ではモデルロケットは日本国内でも市販されているが、当時は、まだ無かった。右の「練習問題」の下側など、ツォルコフスキーの式を自力で導出するものだ。

その他にも、液体燃料ロケットの燃焼実験に参加した合宿の案内や報告など、今見ると懐かしさで、いっぱいだ。

大学に宇宙関係の学部が無いから、実験機材や施設も無い。教えてくれる先生も居ない。やりたいと言う意欲だけで、独学で勉強して、施設を貸してくれる他大学や研究所を訪ねたり、無いものを自分たちで作った。当然、単位になるわけでも予算もあるわけでも無いから、お金はバイトして集めた。そうやって、小さいながらもロケットエンジンまで手作りした。

今でも、そのクラブは存続していて、毎年、琵琶湖で泳いでいたりする。クラブの中では、我々と前後の世代は「黄金期」と呼ばれているらしい。

1979年の「Rocket Week」の創刊とともに始まった黄金期は、その後、数年続いた。

その黄金期を過ごした卒業生たちの中には、H-2A・H-2B ロケットや幾つかの衛星などを作ったメンバーが何人も居たりする。ちょっと年上の先輩だけど、筑波宇宙センターの所長になった人も居る。

当時の後輩で H-2B ロケットの開発の主要メンバーだった人は、「やっていることは昔と同じ。無い物は作れば良い。ちょっと規模が大きいくなっただけ。むしろ昔より楽かな。昔は学校の勉強でも単位でも無かったら、周囲の人から遊んでると言われたけど、今は仕事として認められてるから。」と言っている。

まあ、部誌を書くのは大変だったけど、無駄では無かったようだ。

秋の夜、大学の教室を借りて、皆でツォルコフスキーの式の導出をしたクラブの仲間は男だけじゃなくて、女子も3分の1程度は居た。

その時、仲間の中で、一番最初にツォルコフスキーの式が導出できたのは、私だった。それが、その後の私の進路を決めたような気もする。

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