マツド・サイエンス研究所

超光速

「ニュートリノは、光速よりも速い!?」と、一昨日から、騒ぎになっている。

昨日の読売新聞は、朝刊一面トップ記事の扱いだ。

まあ、「まだ、真実か判らないから慎重にもっとすべきだ」「いい加減な無責任なコメントが多い」とか、訝しんでいる人も多いが、私は、このマスコミの扱いを嬉しくすら思っている。

たとえ、飛び石連休の間の土曜日とは言え、三大新聞の一角である読売新聞の平日の朝刊一面トップは、破格の扱いである。(朝日と毎日それと日経では、どう扱っているのか知らない。我が家が読売新聞を取っているのは、コボちゃんが面白いからである)

まだ、本当にニュートリノが光より速いか判らないし、もし本当に、ニュートリノが光より速くても、わずか4万分の1速いだけだし、それによって一般家庭生活が影響受けるってことは、まずあり得ないだろう。そんな純粋な物理実験と理論の記事が一面トップ記事となると言うのは、日本が平和で豊かになり、科学や学問に理解を示している証拠だ。

マイケルソンが実験して、光速が一定であることを見つけたのが、1881年(明治14年)。さらに精度を上げたマイケルソン・モーリーの実験が1887年(明治20年)。この時、日本で、どれほど報道されたのかは、知らない。1879年生まれのアインシュタインは、それぞれ2歳と8歳だけど、ドイツで報道されていれば、知ったかも。あくまでも憶測だけど。

これが、1922年(大正11年)に、アインシュタインが日本に来る時は、相対論なんて誰も判らなかったのに、船旅の途中でノーベル賞受賞の知らせがあったこともあり、大騒ぎになり、マスコミが連日取り上げたと言う。この大騒ぎに乗じて(乗じたのかどうかも憶測だけど)、当時、中学生だった湯川秀樹と朝永振一郎が共に見に行ったと言う逸話があり、これが後の二人のノーベル賞につながることは間違いないだろう。

この大正末から昭和初期にかけては、少年科学雑誌が多数発行されている。糸川英夫(1912年生まれ)や南部陽一郎(1921年生まれ)が、これら少年科学雑誌の影響を受けていることは想像に難くない。忘れ去られているかもしれないが、実は大正末から昭和初期にかけては、日本は豊かで平和な時代だったんだよ。

しかし、多数発行されていた少年科学雑誌も戦争の影響を受け、次々に廃刊され、現在残っているのは「子供の科学(1923年創刊)」だけである。

今回の「超光速」騒ぎで、意外なほど、純粋な科学に対する一般の興味が高いことが判った。

また、こう言った事を取り上げたマスコミを嬉しく思う一方、一過性のものに終わらせずに、引き続き科学への興味を持ってもらいたいものだと思う。

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