マツド・サイエンス研究所

指導する人が若者の才能の芽を伸ばすのか? 抑えこむのか?

先日、高校生のマイコン回路設計コンテストに参加した。14チームの参加があり、ほとんどのチームが2〜6名で構成されていた。数チームが1名のみだったが、多くは在籍する学校のチーム名を付けていた。

マイコンを使ったオリジナルな回路の設計と実際に作ったもののデモンストレーションで競い合うコンペティションだが、まあ「高校生だったら、マイコン使って、この程度かな」と、やや不満に思うくらいの無難な出来のものがほとんどだった。

ところが、たった1チームだけ、1人が個人名でエントリーしているチームがあった。チームというより個人だ。聞けば、顧問の先生もおらず、1人でコンテストにエントリーしたらしい。

その出来は傑出していた。マイコンを使うだけに留まらず、アナログ回路、CPLD回路を組合せ、フーリエ変換プログラムやHDLでのCPLD回路設計まで、全て一人で作業したらしい。完全に他のチームとレベルが違う。いや、そもそも大学生や大人でも、これらを一人でまとめて設計・製作・プログラミングできる人は、そうは居ないだろう。

「アナログとデジタルの回路を合わせて作ったので、ノイズ対策が大変でした。」と語ってはいたが、デモンストレーションで全く問題なく動作したのには感心した。

当然の如く、彼は金賞を受賞した。

彼のような傑出した才能の持ち主は、数は少ないが、各世代ごとに確実に存在する。彼は確かに今回のマイコン大会では金賞だった。しかし、同世代のトップではないかもしれない。

と言うのも、彼と同じ世代で、製作したマイコン工作が音速の壁を突破した少年を私は知っているからだ。

書き間違いでもジョークでもSFでもない。本当に音速を超えたのだ。

17歳の少年が独学で作ったマイコンはセンサーで加速度や回転速度を測り microSDに記録した。このマイコンは、7月にCAMUIロケットで打ち上げられ、音速突破を記録している。CAMUIロケットに載せてもらったと言うより、少年の作ったマイコン自体がメインペイロードで、その計測データこそがCAMUIロケットが初めて音速を突破した動かぬ証拠になった。

加速度センサのデータは、音速の手前で空気抵抗が増え、加速度が落ちた後、音速を超えてから、再び急激に加速していることを示している。いわゆる「音速の壁」だ。少年のマイコンが取得したデータはグラフ化され、先月別府で行われた宇宙科学連合講演会で、北海道大学の永田先生により発表された。

17歳の少年であろうが、大人であっても、音速の壁を突破する瞬間の計測を行う機会など多くはない。しかし、少年の作ったマイコンは、CAMUIロケットのエンジンの振動、打ち上げ時の加速度、音速の壁、パラシュート展開時のショック、海面への着水を耐えぬき、見事に取得したデータを守り切った。これは最上級の賞賛に値する。

マイコン大会で優勝した少年と、音速を超えた少年のどちらが一番かと言う野暮な話は止めよう。むしろ、彼ら二人を会わせて話をさせてみたいと思う。いい友人になれると思うのだが。

彼ら二人が、同一世代のトップもしくは、それに近いところに居るのは間違いない。が、問題は共通点だ。彼ら二人とも「指導する教師のない、独学での成果」だと言うことだ。

別の世代でも、同じく17歳前後の時に、指導者なしで独学で成果を出している人を何人も知っている。他ならぬ私自身がそうだし(<=言い過ぎ・・)、また、デジタルオーディオ・プレーヤーなどを手伝ってくれている水城さんもそうだ。水城さんは高専時代にロボコン大会に出場している。この時、学校の正規チームではなかった。正規チームのやり方に反した彼は、非正規チームを結成しリーダーとしてロボコン大会に出た。当然、彼のチームには指導する顧問の先生も居ない。だが、地区予選で正規チームが敗退するも、彼の非正規チームは全国大会に進み、両国国技館の大舞台でベスト8まで勝ち残った。

傑出した才能は、なぜ指導教官の居ないところで育っているのか?

いや、逆に「指導教官は、傑出した才能を育てるどころか、押さえ込んでいる」じゃないかと言う疑りさえもってしまう。

もちろん、優秀な指導教官のもとで才能のある若者が育つと言う事例もあろう。

しかし、多くの場合、指導教官は「底上げ」つまり「チーム中の最低レベルを引き上げることで、効率的に平均レベルを上げる」事には役に立っても、「傑出した若い才能を、さらに育てる」事には役に立っていない。

想像するに、このような事が起こるのは、次のような問題が原因と考えられる。

(パターン1)指導教官が生徒や学生の才能が自分より良くなることを嫌う。

いわゆる嫉妬とか妬みと言ったもの。これは、小説やドラマの中では良くあるパターンだが、現実にはほとんどない。妬みのような明確な悪意が原因なら、むしろ対処は簡単だが、実際にはパターン2以降のように悪意のない、むしろ善意による行為が原因になるので、かえってたちが悪い。

(パターン2)生徒が高度・複雑な技術を使う時。

判りやすく言うと、教師が生徒に向かって「そんなの無理に決まっているだろ」と言う時だ。

パターン2は、さらに細かく3つに分かれる。

(パターン2A)生徒の使おうとする技術が、指導教官の持つ技術を超える時。

憶測だが、前述のマイコン大会の金賞受賞者は、このパターンの可能性が高い。大人でもマイコン、CPLD、アナログ・デジタル回路、HDLとアプリケーションプログラミングまで全て扱える人は少ない。彼の学校の教師の中に、このような人が居た可能性は低いので、これが原因と憶測した。

教師が生徒を指導する時、もし上手く行かない場合、自分がフォローすることを考えるから、生徒が扱う技術が自分の守備範囲を超えないようにするのが普通だ。

子供に敗北感を与えないように、自分がフォローできる範囲に抑えてしまう。これは善意から来る指導だが、才能を抑える結果を生むジレンマだ。

(パターン2B)生徒が挑戦する技術が多い時。

これは、単純に同時に余りに高い技術に余りに数多くの技術に挑戦する時。教師が生徒が扱おうとする技術より高い技術を持っていようが持っていまいが、それとは関係がない。

複数の技術に挑戦するのは無謀だ。ほとんどの場合失敗する。「同時に挑戦する新技術は1個だけ」と教師は経験をもって知っている。だから、生徒に「無理をしない方が良い」とアドバイスをする。

このアドバイスは妥当だ。たぶん、複数の新技術に挑戦しようとした生徒の10人中9人が失敗するだろう。教師は生徒に敗北感を与えたくないから、こうアドバイスする。

だが、その一方、10人中1人の才能を平凡な成功に抑えてしまう。

一人の大きな才能開花を取るか、9人に敗北感を与えないか・・がジレンマだ。

(パターン2C)生徒が挑戦しようとする技術がチームの他のメンバーに扱えないほど高度な場合。

学校時代にチームで何かを達成させる事は貴重な経験となる。これは紛れもない事実だ。チームワークを重視するため、他のメンバーと技術レベルを合わせると言う指導は必ずしも間違いではない。

(パターン3)生徒の価値観が教師に理解されない時。

判りやすく言うと、教師が生徒に向かって「それやって、何の意味があるの?」というやつだ。

パターン3も、さらに細かく2つのパターンに分かれる。

(パターン3A)生徒のアイデアは自分が思っているほど斬新ではなく、既に何度も提案されては上手く行っていないものである時。

生徒より経験の豊かな教師は過去の事例を知っていて、それを否定してしまう。

(パターン3B)生徒のアイデアが本当に斬新で教師に理解できない場合。

これは本当に斬新なアイデアだった場合。この場合、かなりの確率で教師にはその意味が理解できないことがある。これは、教師がいくら優秀でも教師自身が斬新なアイデアを生み出したとしても、教師が理解できないことがある。ただし、いくら斬新なアイデアであっても、それが上手く行くとは限らない。それどころか、斬新なアイデア20個のうち、上手く行くのは1個で、残り19個は「アイデア倒れ」になる。

これらのパターンのうち、パターン1は論外としても、パターン2と3の中で問題なく否定できるのはパターン3Aだけだ。

残りのパターン2ABCとパターン3Bは、教師としてどう対処すれば良い?

肯定すると、10人中9人とか、20人中19人の生徒が失敗して挫折を味わう。

否定すると、多数の生徒が救われるが、10人に1人とか20人に1人しかいない才能の持ち主が育たない。

より数多くの生徒を救うのが「善意」だ。

だが、それで本当に良いのか?

結局、本当に才能のある生徒は、教師に反して独学で育つしかないのか?

それがジレンマだ。

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