野田真紀のお気楽・極楽 英国便り

その10 入学後には何がある? 6th August 1998


入学後には何がある?

 ずっと学校に行くのを嫌がっていた娘が、急に「学校に行きたい」と言い出し、通学し始めたのは5月5日の事。ここイギリスでは5歳から、小学1年生。小学1年にも満たない4歳児クラスまで校内にあり驚いた私達夫婦。(詳細は、主人のホームページをご覧下さい。)

 言葉の全く通じない娘を1日6時間も、学校に置いておくのは本当に心配で、初日は日本のおばあちゃんからや、仕事中の主人からの電話もあり、迎えに行くまで本当にハラハラドキドキした。迎えに行った娘から「楽しかった。」と聞いた時は、本当に安心したもので・・・それから毎日「昨日より、もっと楽しかった。勉強はなくて、プレイタイムばっかり。」等の話が聞かれることになる。

 さて、娘はさておき、入学後に起こることは?そう私達親にある。まず入学1週間後にMeeting parents と言うものが、平日の夜行われた。夕食を早目に終え、主人がこれに出席したのだが、最初7時半の時間通りには2−3人しか来ておらず、最終的には32人くらいしか来なかった・・・と帰って来たのは夜9時過ぎだった。結局どういう集まりかと言うと、学校の教育が正しく行なわれているかどうかを評価する委員と話し合う会らしく、我が子が学校で、自分の思うように教育されているかどうか不平をぶつけるものだったらしい。娘を学校に入れ1週間しか経ってない上、言葉の通じない娘とどうにかコミュニケーションをとろうと、がんばってくれてる担任に文句がある訳も無い我が家。主人は、結局一言も言わず、皆が委員会の人に不平をぶつけるのを、辛抱強く聞いて帰って来た。結局、我が家のように不平の無い親は、欠席しても良い会だったのだ。

 次の日、『明日歩いて教会見学に行く為、手伝える人にはお願いしたい。』と言う張り紙があった。”私は英語も苦手だし、なんて言っても3歳の息子連れ・・・ムリムリ”と思っていたら、お迎えの際、担任の先生が私の方に寄って来、「絵莉子の為、教会見学の通訳を頼む。」と言うのだ。”今、私に通訳してって言った?明日の午後来てって言ったわよね。やめてぇ〜。”と思いながら、確認の為紙に書いてもらった。けど同じ事。

 結局次の日、教会見学に行く娘のクラスの最後を歩く息子と私。私が、かなり英語が苦手なのを理解している担任の先生は、大きな画用紙に教会で使われるであろう沢山の単語を、大きく書き持って来てくれており、神父様の話の際、黙って単語を指さしてくれていたのだが・・・それも2つ目くらいまで・・・説明を聞きながら教会内を移動しているうちに、娘は友達と手をとりドンドン先生から離れて行ってしまった。私は、娘を追いかけ、判る限り説明した。興味があるのかないのか、聞いてるのかどうかも判らず、手応えの無い娘に通訳している最中、とうとう今まで大人しくしていた息子が騒ぎ出す。誉めたり脅したりしながら五月蝿い息子を連れ、娘を追いかけ、一方的に耳元で話し続ける私。(なんだか、とても間抜けな感じだ)教会帰り、すっかり嫌になった息子は歩かなくなり抱っこ。学校に戻った子供達には、学校の職員の優しそうなおじさんから、ジュースが配られ、ちゃっかり息子も座ってジュースを飲んでいる。”あ〜ぁ、くたびれたぁ。”

 それから数日後、teaと呼ばれるお誘いを受け、娘は学校帰りに友達の家で遊び、軽い食事をご馳走になるのだ。親は、予め迎えに行く時間を約束してあって、夕方遅く迎えに行く・・・と言う、こちら独特の習慣にも娘は、すんなり入っていく。(親の方は、なかなか・・・。)

 そして、ドンドンやってくるバースデイパーティの招待状・・・。はじめ、どう返事するかも判らない私達は、招待状をほっておき、招待してくれた子を、散々心配させた。招待状の電話番号の横にはRSVPのアルファベット。これが、『返事してね』と言う意味を持っていると知ったのは、招待状を貰った次の日、英英辞典を買って来てからの事。急いで電話し謝り、更に手紙に返事を書き娘に持たせた私達。(何をするにも冷や汗ものだ。)”どうしてこんなに、ドンドン招待状が来るのよぉ”と思いながらも、娘が行きたいか行きたくないを決め、それに合わせて返事を書き、娘にサインさせて学校に持って行かせていた。

 娘はまだ、クラスメイトの顔と名前が一致していない頃だから仕方無いとは言え、返事を出すのも一苦労。返事を書いたは良いが、この招待状をくれた子は一体どの子で、どの人がお母さんなの・・・?教えて貰っても娘は「皆、金髪で青い目。男の子は、皆茶色の髪でそばかす。全然判らない。」と言うのだから、私達もどうしようもない。(どれだけ、担任の先生と娘の大の仲良しのエマーちゃんに助けてもらった事か・・・。)

 これに加え、学校から持って帰る、お知らせプリントの多い事。主人は、夕食後お知らせプリントを訳して私に聞かせ、招待状の返事を書き・・・と、毎日の仕事が増えた。そして担任の先生や校長先生から声をかけられないかと、冷や冷やしながら送り迎えする私。掲示してある張り紙に目を通し、訳しきれない時は、書いて持ち帰って訳する始末。”ハ〜”

 6月に入ると『キチガイ帽子屋のお茶会(不思議な国のアリスに出てくる・・・)』と言う学校行事があり、”50ペンスで売るので、ジャムの瓶にお菓子でも化粧品でもなんでも入れて、寄付してほしい。”とか、”普段、家にあふれかえっている玩具を整理する時だ!子供にナイショで、学校に持って来てしまえ。”とか、”カップボードの中を掃除できるチャンス!要らないモノを寄付して欲しい。”と沢山の寄付を募る手紙がやって来て、どうして良いのか途方に暮れたものだ。

 結局、ジャムの瓶もないので、マヨネーズの瓶2つに、日本のキャンディーやガム等、ぎっしり入れて持っていった。玩具等は、最小限しかこちらに持って来てもおらず・・・”日本の家には、幾らでも寄付できるものが有ったのに・・・”と思っただけ。他のお母さん達は、本当にゴミ袋一杯にガラクタの玩具を持って来ており、お茶会当日これらすべてが、50ペンスで売られていた。我が家が出したお菓子の瓶詰めは、他の色々な瓶詰めと共に、50ペンスのくじ引きのコーナーに並んでいた。

 我が家の子供達は、縫いぐるみのくじ引きをし(これも50ペンス)娘は、自分では持てないほど大きなクマの縫いぐるみを当て、かなりの注目を浴びた。持って歩くには大人でも大きすぎる、この縫いぐるみ・・・主人が車にしまいに行く時も、沢山のすれ違う父兄から「お前は、運が良いな!」「良かったな!」等と声をかけられたようだ。この縫いぐるみ、今では我が家のソファの一つを占領してしまっており、帰国時にどうしよう・・・と思っている私。この他、アリスの仮装大会やバーベキュー、外には救急車や消防自動車が来ており、これに子供達を乗せてくれたりもする。なかなか楽しい行事だった。

 お茶会パーティの4日後。娘は始めてのバス遠足があった。”また付いて来てと言われたらどうしよう?!”と思いながら、次の日に遠足をひかえ掲示されている張り紙を見る。『プラスチックバッグにお弁当を入れて持たせるように。地面が濡れている時の為に、サンダルでなくゴム底の靴を履いてくるように・・・』と書いてある。はて、プラスチックバッグとは何の事だ?天気が悪かったらどうなる?と疑問だらけの私・・・。帰って主人に相談しようにも、明日遠足なのだから間に合わない。どうしようもなく、恐る恐る娘の大の仲良しのお母さんに声をかけ、聞いてみた。まず相手は、私が英語を話しているのを聞いた事が無かったこともあり「まぁ、貴方上手に英語が話せるじゃないの!!」と言い、それから丁寧に張り紙に書いてある一つ一つを説明してくれた。”これで安心して遠足に行かせてやれる。”プラスチックバックとは、何の事はないスーパーの袋の事だったし、これに弁当を入れて持たせ、昼食の時この袋を敷いて座るのだそうだ。

 当日は小雨が降っていて、いつもはコートを着て行ってる娘だが、カッパを着せ、お弁当の袋と長靴の袋を持たせて送って行った。”この国では雨でも遠足があるのかぁ・・・”と思っていたが、この日はどんどん天気が悪くなる一方で、どしゃ降りで雷の鳴り響く一日になり、帰って来た時はずぶ濡れの先生と子供達だった。その後風邪をひかなかったって?我が娘は、鼻水を垂らして登校していたが、結局熱を出した。でも、他の子供達は皆元気そうだった。”身体の作りが違うのだな”(だって、生後数日の赤ん坊も、このどしゃ降りの中、キャリーごと地面に置かれ、雨に濡れているのだから。小さい時から、濡れても平気なように育てられているに違いない!!もちろん親の半分以上が傘もささずに、お迎えに来ており濡れている。)

 そして、7月に入るとスポーツデイと言われる、運動会が行われた。1年が2クラス。2年が3クラス。4歳児クラスが2クラスなので、一日かけて行なう訳でなく、平日の午後行われた。クラスごとに、グラウンドのあちこちの競技を順にやっていき、クラスの中で色分けされたチームの総合得点を競うもの。まず、フットボールを蹴ってゴールに入れられるかどうかで得点が決まる。『ゴールキーパー』もチーム毎に出し、ボールを跳ね返すところなんて、なかなかカッコ良い。娘のノロノロボールも、ラグビーボールは入ったが、サッカーボールでは入らない。

 その後、かけっこがあり6人で走ってビリ・・・。でも、クラスメイトのerikoコールは、とても凄くて驚いた。他の子の声援なんてほとんどないのに皆が、娘を応援してくれる・・・がビリ。次に障害物リレーのようなものがあり、縄跳びを4回して、輪くぐりをし、そして頭にでっかいお手玉のようなものをのせ、ポールを一周して次の子にバトンタッチ。縄跳びは、ひどいものだったが頭にでっかいお手玉を載せて歩くのは、とても上手な娘。途中、学校側が用意してくれたジュースとクッキーで休憩の後、長靴投げ競争。大人のゴム長靴をなげ、沢山の小さな円の中にある1・2・3の数字に入った点が得点に加算されるもの。みんな気張って、なかなか数字の書いてある円に入らない。娘は、偶然にも1点ゲット。

 その後、でっかいお手玉投げ競争。一番遠くに飛んだ人の勝ち。ちゃんと、ラインの中のまずまずの処にお手玉も飛びホッ。中には、後ろに飛んだり、観客の頭に落ちるものもあって結構笑える。最終的に、娘の赤チームは、クラスの中で総合優勝してゴールドメダルシールをゲットしご機嫌。少なくとも、足を引っ張ってはなかったので安心。ただ・・・体操パンツの前後ろが違うぞぉぉぉぉぉぉ。途中で、こっそり履き替えさせたけれど・・・。私達は、全く知らない父兄に、「erikoはクラスの人気者ですネ。絵もとても上手だし・・・」なんて、いきなり声をかけられたりしオロオロする。”今のは一体誰のお母さん????”この日、イギリスでは珍しく、暑いくらいのお天気で良い思い出になった。

 そして、1年生も終わりに近づいた或る日、担任から娘に対するレポートが届いた。A4サイズの紙にぎっしり、娘について書いてあるのだ。これがこちらで言う成績表らしい。たった2ヶ月しか通ってない娘の事を、私達が感心するほど細かいところまで見ている内容。友達関係の事、どの教科のこの部分が良く出来、延ばしてやりたいか・・・、どの科目を、楽しんでいるか等・・・そして、英語の話せない娘に対するいたわりの言葉まで書いてあり、本当に驚いたのだった。このレポートを読み、親は校長宛に返事を書く。校長が自ら面接し、入学を許可し子供の事をすべて把握しているのだから、これも驚き!!

 学校で娘が鼻血を出した日の次の日には、「絵莉子は、よく鼻血を出すのですか?」と聞かれた主人。そんな事まで校長先生は知っているのか・・・。(ただ、こちらでは日本のように鼻にティシュ等詰めないらしく、ティシュを鼻に詰める娘に”外しなさい”と先生に取られ、娘はまた詰め・・・と何度か繰り返し、娘は諦めイギリス流に綿を鼻に当てた。結果、垂れて来た血で制服を汚し着替えて帰って来る事になる。制服は事務所の人が染み抜きをしてくれていたけれど・・・。)そして、今娘は夏休み。夏休み明けには2年に進級する事になっている。日本では、まだ幼稚園の年長さんだと言うのに・・・。

 こちらの学校では宿題はないのか?・・・宿題はある。国語(もちろん英語)の宿題だ。絵本の教科書がレベル事に沢山あり、とても簡単な薄い絵本を毎日持って帰って来た娘。これを私達は読んで訳し、娘にも英語で読む練習をさせる。次の日には、先生と一緒にこれを読んでいるらしく、それについては、一人一人子供達専用の記録ノートがあり、先生が進み具合を記録する。先に進んで良いようなら、次々絵本が交換され、そうでないなら、同じ絵本をしばらく持ち帰る事になる。そして、時々週末5つの単語が書かれたプリントを持ち帰って来る。これは、次の月曜にこの単語の試験をするので、勉強してくるように・・・と言うもので、読めて書けるようにしていかねばならない。

 これは、私達親にとっても大変だった。何が・・・って、私達が中学校で習った筆記体の書き方と全く違い、小文字を繋げているような書き方は難しく、まず私が練習し、それから娘と一緒に勉強だ。このプリントの最後に、この宿題がその子にとって、簡単だったか・丁度良かったか・とても難しかったかのアンケートもある。ちょっとハードだったけど、毎回ちゃんと覚えた娘なので、ちょうど良いに印を付けて出していた。子供達が学校に毎日持っていくものは、この薄い小さな教科書と記録ノートのみ。鉛筆や教科書・ノートに至るまで学校で準備されており、持って行く必要はない。

 12歳まで子供だけで出歩かせるのが禁止のこの国なので、当然学校は親が送り迎えし、お迎えの時などは、先生が子供の親を目で確認してからでないと、外に出してくれないという徹底ぶり。日本の小学生が重そうなランドセルを背負って、歩いて登校する姿を見慣れている私は、この身軽な姿の上、親に車で送り迎えしてもらってる子供達は幸せだと思う。娘は学校に通い始めて2ヶ月・・・単語を見て、だいたいの発音が出来るようになった。


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