野田篤司の英国文化考

その10 英語 9th June 1998


英語の学校に通っている

 実を言うと私は英語が苦手である。
 英国に住んでいるのに何だとお叱りを受けそうだが、事実である。妻も子供達もろくに英語が喋れない。何時までも、これでは困るので、しばらく前から、妻も私も成人教育センターに英語を習いに通っている。娘は小学校に通っているのは、にも述べた。
 そこで、感じたのは、もう何度も言われ尽くされている事だが、つくづく日本の学校における英語教育は実践では何の役にも立たないものだと言う事である。

日本の学校で教えている英語は、試験の為?

 私と妻は、成人教育センターでは別のクラスに通っている。私の方が少し上のクラスだが、本当はそんなに実力は変わらない。成人教育センターは、サリー州の州立で、この中に外人向けの英語クラスがあり、毎週2時間で10週間で40ポンド前後(クラスによって値段が違う)、日本円にして約8,800円である。日本で英会話学校に法外な金額を要求されるから、これは安いものだ。何と言っても先生は、本当にネイティブのクィーンズ・イングリッシュを美しく喋れるのだから。
 妻のクラスの生徒はスペイン人やポルトガル人、モンゴル人等で日本人は妻だけである。私のクラスには、私の他に日本人が一人いるものの、残りはスペイン人、メキシコ人、中国人等、外人だらけで結構面白い。
 で、授業が始まると、英語の聞き取りや喋り方は、私がクラスの中で一番下手で、やっとこ授業について行っているのだが、内容が、文法とか穴埋め問題になると一変する。急に私はクラス一の秀才になってしまう。私にとっては、こんな問題は中学高校時代、さんざ試験勉強でやったから簡単なのだが、他のスペイン人とかメキシコ人とかにはチンプンカンプンらしい。
 だが、普段の英語によるコミュニケーション能力は彼ら・彼女らの方が遥かに上なのだよ。結局、日本で教えている文法偏重の英語教育は、入試等の試験のために英語であって、コミュニケーションのためにものではない。
 試験の問題は、英語が得意ではない日本の英語教師でも、採点できるように単語の丸暗記とか文法とかある程度ルール化できるような事ばかりを集めてある。この試験に良い点を採るための勉強だから、そんな変なルールだけを教えて、肝心のコミュニケーション能力は教えない。
 試験のための授業では、試験の能力しかアップせず、コミュニケーション能力は向上しない。試験で良い点が取れても(取れなかったけど)、コミュニケーション能力は無いから、コミュニケーションできない。結局、中学高校時代の英語なんて、授業と試験で堂々巡りして、何の成果も無い。これじゃ、英語なんて面白くないよね。

だからって、嘘や使わない事を教える事はないだろう

 いくら、試験のための英語とは言え、嘘や使わない事を教える事はないと思う。例えば、「勉強」の事を「study」と習ったと思うが、「study」は同じ勉強でも、研究などの意味を含む強い意味である。「中学の時に英語を勉強した。」程度は「learn」を使うべきで、英国人や米国人の前で「study」を使うとえらい恥をかく。これなんか、ほとんど嘘を教えているのに等しい。
 また、文法でも会話に使うのは中学で習う程度で十分で、高校以上で習う英語文法なんて、滅多に使うものではない。こんな使わない知識を教える暇が有ったら、コミュニケーションの方法を教えるべきだろう。

日本で教えているのは米語! 英語ではない

 もう一つ言いたいのは、日本で教えているのは「米語」であって「英語」でない事である。例えば、中心を意味する「センター」も、米語では「center」だが、英語では「centre」である。また、数字で「0(零)」をゼロ(zero)と読むのが米語、オー(o)と読むのが英語だ。007は、英国の諜報部員なので、「ゼロゼロセブン」ではなく、「ダブルオーセブン」なのである。その他、日付の書き方、「アンテナ」等、色々と異なる。
 別に日本で教えるのが、「英語」でなく「米語」でもかまわないのだが、それならそれで、授業の名称を正々堂々と「米語」と名のって欲しい。

苦労する筆記体

 娘が、小学校に通うようになって、英語の書き方を習うようになった。これが、日本で習う書き方と全く違う。日本で習う「筆記体」の書き方は、英国は、もちろん米国でも全く通用しない謎の書き方である。どんなに日本流の「筆記体」が上手くても、英国人も米国人も読んでくれない。
 英国の学校では、活字体に近い「ブロック体」を教える。これを手書きする時には、続けて書くのだが、それが結構難しい。娘に教える前に自分で、参考書を買って来て練習したが、大変だった。が、慣れてしまえば、日本流の「筆記体」よりも簡単である。
 娘も特訓の結果、英国風の「ブロック体」の手書きが出来るようになった。これで、英国人にも米国人にも読んでもらえる手書きが出来る。
 が、それなのに、日本に帰って中学に行くようになると、また、あの誰にも読んでもらえない謎の日本流「筆記体」を苦労して覚えるために、再び苦労しなければならないのだろうなあ。

やはり、日本の英語教育は間違っている

 結局、今回は「英国の文化を考証する」なんて高尚な話ではなくて、中学高校時代に苦しめられた日本の英語教育に対する愚痴ばかりになってしまった。「そんなの英語の劣等生だったお前が悪い」とお叱りを受けそうなのだが、最後に一つ付け加えておこう。

 私が、成人教育センターで英語を習い始めた最初の日、先生は面と向かって私にこう言った。
「日本で教えている英語は違っている。それを忘れなさい。これから、私が教えるから。」
 これは、英国人それもプロの英語教育者が、日本の英語教育を全面否定している以外のなにものであろうか!?


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